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WORKS

A Decade of Regression and Regeneration

Project details

ANTIBODIES Collective New Creation

『A Decade of Regression and Regeneration

DATE:2021/3/20,21

PLACE: 京都 北河原市営住宅跡地  Kyoko

 

+MEMBERS+

コンセプト/構成/音楽:カジワラトシオ

構成/振付:東野祥子

美術:OLEO

特殊映像:関口大和

Dance Performance :ケンジルビエン、吉川千恵、JON()、井田亜麻実、加藤律、田路紅瑠美、尾身美苗、ミナミリョウヘイ、斉藤成美、菊池航、松木萌、新井海緒、今村達紀、小川摩希子 他

音楽:Louise-Landes-Levi、SAWA、JON(犬)、pulseman 、日野浩志郎(YPY)Bonnounomukuro、Marlyn Anasonic、澤村祥三

テクニカル:矢野貴雄、ハオニロ、森田健介、淡 圭介、山本將史、上地綾子、Gori、出川晋、内田和成、シゲ404 、edénico、ghetto : professional、Shinmei Go 、Jet yoppie 、コクレン悠馬、秋葉慎一郎

火術:AbRabbi-油火- てっせい

照明:藤本隆行(Kinsei R&D)

照明アシスタント:粟津一郎

音響:AKA-GASHI

衣装 : HE?XION!

宣伝美術 : 関根日名子

記録 : Yoshihiro Arai、井上嘉和、Foster Mickley、Isabelle Olivier

映像記録:Bemnmn

食:月桃食堂、yurinx、深澤麻奈、村屋、かただま屋Neo、アイスクリームパラダイス

制作:滝村陽子

広報:髙橋理恵

協力:三宅史子、八雄、中LA ほか

レジデンス協力:城崎国際アートセンター(豊岡市)

主催:一般社団法人ANTIBODIES Collective

*京都市文化芸術活動再開への挑戦サポート交付金参画プロジェクト*

『A Decade of Regression and Regeneration

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空っぽの劇場と手渡されたカメラ

「現前」の喪失とその闇を見つめ

映像表現のアクチュアリティと

その役割を問う

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当日パンフレット掲載文ーーーーーー著:カジワラトシオ

私たちがこの場所に訪れた3月15日という日は、10年前の福島で2号機の炉心損傷という原発事故最大の危機が訪れた日でした。
津波による破壊で制御を失ってから間も無くして1号機と3号機の建屋が水素爆発で吹き飛んだ。それからのフクイチはまるで戦場のようだった。陥没した天井と剥き出しになった構造、瓦礫に埋め尽くされた中の作業員たち。完全なはずのシステムが瞬く間にカオスにのみこまれ、東日本壊滅という悪夢が現実になりかけた日として決して忘れる事は出来ません。

振り返ってみれば、それは不理解と不共鳴の連鎖が引き起こした、極めて人的な事故であったという気がします。
地下にあった非常用電源がすぐさま浸水する。地震の混乱なかで電源復旧が間に合わない。センサーが作動しなくなり避難のガイドとなりうる筈だった実測放射線データが届かない。放水車のガス欠が原因で給水が止まり、吹き飛んだ隣の建屋の瓦礫が当たってしまい重要なベントのバルブが破損して使えない。内にも外にも情報を共有し正確に把握する術がないまま混乱と絶望だけが増していく中央制御室。人的な落度に沿って次々に亀裂が走っていく様は恐ろしいと同時に滑稽ですらありました。

10年経った今でも廃炉の現場においてそのようなことは繰り返されているだろうと思います。「想定外だった」という弁明は虚しく、肥大化するその利権に資本ばかりが群がっている。何故そのようなことになったのか? それは原発事業におけるそれに関わる人たちの不協和であり、不共鳴状態であり、愛と理解の欠落であると私は言いたい。もしこれらの人たちが共鳴状態にあったならば、様々な立場の人が様々な形でその状態に影響を与えることで、このような事故の大部分は回避出来たのではないか? 例えば原発が全電源を喪失しても、そのようなことがあった時はこうしようと常から思っていた人たちがいたならば、動ける人が動くことで実際に状況は違ったのではないのかと思うのです。そもそも原発の真実を心から受け入れて、それと真面目に向き合って生きていくことを望んでいる人が本当に存在するのでしょうか? あの事故から学んだことは人間が何かを創るということの本質に関わることであったのだと、10年経った今また思うのです。

愛も理解も無いのに原子力を善良であるとして大金を突っ込んだ。同様に愛も理解もないのに同和を善良であるとして大金を突っ込んだ。結果として腐敗が進み、善良は反転して人間の愚かさや浅はかさを露呈するものになった。終わらない廃炉作業と何となく再稼働していく原発を背景に、静かに藪の中に消えていった福島の故郷と、湧き上がる地上げと桃色の「文化の発信地」構想を背景に、確実に塗り替えられていくコミュニティーの姿が重なります。この地域には未だ詳しい訳ではありませんが、ジェントリフィケーション(地上げ圧力による共同体の無力化)とそれによるディスプレイスメント(生まれた場所、自分の生活文化の場所を追われること)は近代世界全体の大きな問題であることを生きて学んできました。資本はいつも行き場を求めて世界中を彷徨い、人から権利や尊厳、生き甲斐といったものを奪っていく寄生虫のようなものなのでしょう。

 

 

私たちの舞台は動く自由空間であり、そこで構成された時間が私たちの芸術である。

 

 

私には私の経験した「差別」が染み付いています。そして人にとって「差別」が何であるかを並列に比較することは出来ないし、したくないという思いがある。だから私はこの場所を選びはしたけど、被差別の歴史を題材にしたいと考えた訳ではありません。それは私にとってアンチボ自体が闘うための手段でもあり、差別や不理解を乗り越えていく私たち自身の姿だと思ってきたからでもあります。私はそのようなことを「題材」と考えるまでもなくそのような前線に向かっていく。それだけのこと。私たちは私たちの最善を尽くせば良いだけで、その結果が何に結びつくかということを恐れて、予め自分の立場を守るために掲げる「被差別」ならそんなものは下らないと私は思います。

アンチボ的なポリリズムの在り方、異なる鍛錬や背景を持つものたちが自主的に加わり、真剣にその運動と関わっている姿がそこにあること、それ自体が私にとってのインスピレーションなのだと感じます。しかしながら「多様性」というような言葉は「同和」と同様に既に死んでいます。「文化の発信地」という言葉も空虚でしかない。分かり易いことは大切であるにせよ、何かが伝わるかどうかはまた別の次元の話。身体に染み渡るように伝わり、そして同時に変容していくというプロセスは、長い時間をかけてしか成し得ないと感じたからこそアンチボは10年目を迎えたのだと思います。

残念ながら世界は欺きに溢れているし、人はそんな簡単に心を開いたりしたらいけない。ここで暮らしてきた共同体に向けて何かを伝える事が出来ると考えるのは自由だけども、それは長い年月を要して当然であるということは肝に命じておく必要があると感じています。私たちにとって大切なのは、古い言葉に縛られない、それよりも高周波で量子的な帯域に私たちの関係性とその表現系の未来を探り続けるということなのです。

 

 

 

メタファーとしてのベタ焼き

私が東九条エリアに何を予感したかと言えば、それは市政や国政が描く地域の「文化芸術振興」と都市の富裕化を急ぐ地上げ屋たちの目論見の狭間にあって、その共同体の未来を案じている人たちがそこに存在するということに他なりません。「若者が集う文化の発信地」という安易な考え方には「同和」という概念と同じような落とし穴があるのでは無いのか? 気付けば生活文化の様相は消し去られ、投資目的のつまらない建物だけが立ち並び、企業のロゴに飾られたファサードだけの街に成り下がると知っているならば、なぜ芸術大学がこの地域に招致されることを必然であると訴えるのか私には理解出来ません。私は逆に芸術大学というようなものは進んで街から出て行けば良いと思ってきました。大資本の圧力にも国家の要請にも同調しない領域としての芸術文化こそが必要とされているのであり、自ら進んで過疎地に行ってこそ芸術大学の存在意義は高まるのでは無いのか?と感じます。金ではなく精神によって切り拓かれる自由や可能性にこそ若く先進的な感性は反応するものだと私には思えるし、その意味において私はこの地域の芸術文化振興それ自体は大変良かれども、大資本が絡む開発構想の看板に芸術を配置したいという考え自体には猜疑的であるとだけは言っておきます。

コミュニティーによる高瀬川のゴミ拾いに参加させて頂いた際にお会いして、第二公営浴場の前で崇仁地区への思いを語ってくださった崇仁発信実行委員会代表の藤尾まさよさんに「今あなた達に出来ることはあなた達の信じることを精一杯やるということだけであって、この先この地域の開発がどうなろうともあなた達がそれを恐れる必要はない」と優しいお言葉を頂き救われました。この地域のコミュニティーを変えることが出来るのはアンチボではなくコミュニティーの方々自身なのであって、私が願うことは私たちをめぐる議論がコミュニティーを良い方向に導くものであって欲しいということに尽きます。地域の人々の暖かさと同時に苦情や通報などへの対応から見えてくる分断も多々ありました。この撮影の舞台が私たちを受け入れようとする人たちと拒絶しようとする人たちが議論することが出来るような自由空間であることが大切だと感じています。

そして東九条でで生まれ、17歳のときに自主映画『東九条』を監督として制作した山内政夫さん。河原者たちが日本民俗芸能の源流を伝えてきたと、最も聞きたかったお話をして頂きました。『東九条』にはかつてこの空き地に存在した通称マンモス団地の貴重な映像が収められています。映像を貸して頂きたいという私の希望に快く応えて頂きました。この場を借りて心温かい地域の方々にアンチボを代表して心から感謝いたします。

 

 

以下の文章は東九条の多文化共生運動を代表する東九条マダンのHPからの抜粋で、代表のパク・シルさんが東九条の歴史を鮮明に物語っています。是非一読下さい。(www.h-madang.com

 

「東九条は、JR京都駅の南、鴨川より西に位置し、京都で在日朝鮮人がもっとも多く住んでいるところです。ここに朝鮮人が住むようになったのは、1920年代、当時国鉄の東海道線の工事や、東山トンネル工事、鴨川の護岸工事、九条通りの拡幅工事などの大規模な土木工事や、京都の地場産業のひとつである友禅染め関係の染色工場が多くあり、その末端の仕事に従事する者が多かったからです。東九条の朝鮮人人口が著しく増えたのは、解放直後(1945年8月)八条通り一帯(現在のJR新幹線京都駅八条口)に登場した大闇市の頃です。祖国に帰るまで一時的に京都駅に立ち寄った一世も多くいました。また、小さな改札口が一つしかない京都駅南口は、大勢のオモニたちの「闇米」買い出しで、いつも混雑していました。九条ネギの畑が大きく広がり、南へ行くと中・小の染色工場が点在する地域でした。ここでの同胞の花形産業は、古紙・古着・古鉄などを回収して売りさばく「寄せ屋」で、その親方は多くの子方「バタヤ」を低賃金で雇っていました。

当時、東九条の人口は約3万人余、そのうち朝鮮人は約1万人住んでいました。しかし高度経済成長の終わりとともにこれらの産業は廃れ、20代~40代の若い世代の多くは地域を離れ、一世を中心とする高齢者家族が残っていきました。劣悪な居住環境は、一度火が出ると大火災となり、多くの人命が失われました。また、鴨川と高瀬川に挟まれた松ノ木町40番地(現:東松ノ木町)は、国・行政から「不法住宅」と呼ばれ、長い間放置され続けてきました。」

「東九条は朝鮮人だけの街ではありません。若い頃、職を求めて農村からやってきた人や、被差別地域からさまざまな理由で移り住んできた人々も多くいます。また、公営住宅には障害者も多く住んでいます。いわば地域全体が、行政から見放された被差別地域として存在していました。この東九条も、近年、行政は重い腰をあげ、地域住民の声を聞きながら新しい街づくりにとりかかり、40番地にもやっと「公営住宅」が建つようになりました。

「東九条マダン」は、与えられる文化ではなく、自ら発見し創り出す民衆文化を大切なテーマにしています。とりわけ在日韓国・朝鮮人にとって民衆文化との出会いはとても貴重なことだと思います。日本への定住化が進む一方で、韓国・朝鮮人としてありのままに生きることの難しさに悩む「在日」は多いはずです。いま、民衆の民衆文化を受け継ぎ創造していく経験を通して、韓国・朝鮮人としての自分を真正面に見すえ、表現していくことの大切さがあらためて問われています。」

 

==================(本作品のモノローグより抜粋)

虫が触覚を立てるみたいに
いつもアンテナを張って
お互いを感知しながら
絶対的なプロトコルに従って
動き回っているだけ
効率よく失礼のないように
忙しくあっちにこっちに行くけれど
全てのエネルギーは資本に収監されていくばかりで
私たちが何をしたって
このコロニーの機能不全を覆い隠すことにしかならない
そんなのはもう無理だから
何にいくら使うとか
ポイントが貯まるとか
高速ネットワークとか
本当に全部どうでもよくて
ただ私は今すぐあなたに会いたいだけで
驚くあなたの手を掴んで踊り出したいだけで
人間らしい時間を取り戻したい
それだけなの
何があっても暇だなんて言わないで
面白く無いなんて言わないで
いま私たちの文明が、地球が、大きな転換点を迎えようとしていて
それは明らかなことだから
こんな世界に産まれて来てしまったことを抱きしめて欲しい
果てしない混沌のうごめきのなかで
命の限りに輝くために生まれて来たことを忘れないで欲しい
あなたが踊れば暗闇も踊るから
ほら
もう怖がらないで

 

===================(本作品のモノローグより抜粋)

 

「もし私たちのイデオロギー概念が、幻想は認識の中にあるという古典的な概念のままだとしたら、今日私たちが生きる社会はポスト・イデオロギー社会ということになろう。今日の支配的なイデオロギーは冷笑主義だし、人々はもはやイデオロギーの真実性を信じていないし、イデオロギー的な提議を真剣にとらえる者もいない。しかしながら、イデオロギーの根本的なレベルとは、事物の本当の姿を隠蔽している幻想のレベルではなく、むしろ、私たちの社会的現実そのものを構成する(ある無意識的な)空想のレベルにある。そしてこのレベルにおいて、私たちの社会はポスト・イデオロギー的な社会から程遠いところにある。シニカルに距離を保つ態度は、イデオロギー的空想の構造的力から目を逸らすための方法にすぎない。たとえ私たちが事物を真剣に受け止めなくても、たとえ私たちがアイロニーによって対象から身を引こうとも、それでも私たちは加担しているのだ。」

(スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)

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